「Web STRATEGY」Vol.10 巻頭インタビュー

 

   Photo : 平野太呂    

                                

「新鮮な経験を生み出すために、インタラクティブの種を蒔く」


2006年8月に、電通のインタラクティブ・コミュニケーション局プランナーから、オグルヴィ・ワン・ジャパン社インタラクティブ部門クリエイティブ・ディレクターとなった阿部晶人。独自発想のアイデアを、その時々の要望に応えながら提出し、変幻自在に形にしている。彼の物事にとらわれない柔軟な発想と、鮮やかな着地は両の手のように、ユーザーとの新しいインタラクティブな交流に対してつねに開かれている。本文   


1964年の『メリーポピンズ』

 阿部晶人がクリエイティブ・ディレクターとして勤務するオグルヴィ・ワン・ジャパン社のオフィスは、恵比寿ガーデンプレイスタワー25階にある。強化ガラス壁面の一角は、リラックスするための共有スペースで、遠く地平線がパノラマで展開し、視線は青空にすいこまれる。ここには簡単な会議用の小テーブルもあれば、ホッケーゲームや巨大な足のオブジェ、小人の椅子などが置かれている。業務空間とは雰囲気が異なるソフトな世界。中国の道教の士のような阿部がそこに座ると、不思議とマッチして違和感がなかった。


 今年33歳になる阿部は、剣道歴27年、クラリネット歴23年、休日には子供と一緒にDVDを見ることが多い。最近感動した作品は『メリーポピンズ』(1964年公開)。「この映画はすべてが精密に考え抜かれている上に、エンターテイメントの要素がことごとく入っています。ストーリー、台詞、素晴らしい楽曲群。アニメーションと実写の合成など、実験的性格も持っている。自分が生れる前に、人を楽しませるソフトの制作という点で、ここまで究極的なことが行われていたのかと、改めて驚きました」。
 主人公を演じた女優ジュリー・アンドリュースは、阿部にとって思い出深い存在だ。彼は少年時代に両親の主宰する合唱団に入り、ステージ上で『サウンド・オブ・ミュージック』の次男クルトを歌い演じていた。「目の前に観客がいて反応が直接感じられるステージという場所は、非常にインタラクティブな場所でした」と今の自分の職種と重ねて振り返る。

誰もやっていない、新しいことの方へ

 中学生時代からPCには慣れ親しんでいたし、大学は慶応湘南藤沢キャンパス(SFC)で、ここでもデジタル系に強くなった。電通に入社しクリエイティブ局に配属されると、「メールってどうやるの?」といった質問を始めとして、彼の元へ種々の問い合わせが寄せられ、よろず相談所のようになった。社内にネット関連セクションが設置されると自然と移動。インタラクティブ・コミュニケーション局のプランナーとして活動してきた。
 ウェブサイトの企画でも、「誰もやっていないことを。新しいことの方へ」を信条としている彼は、働き場所についても「もし可能性があれば、新しいことを試したい」と思い、活動の場を変えた。オグルヴィ・ワン・ジャパン社を選択した理由はいくつかあるが、「クライアントのブランディングを大切にする姿勢」に共鳴したことが大きかった。それは今の彼の問題意識、「ウェブが持っているタイムリーさと、時間をかけて蓄積していくブランディングとを結びつける」と関係している。ウェブの使命として、その時々役割を十分果たしながら、ユーザーの記憶にも残り、彼らの中に蓄積され資産となる。これからのインタラクティブ・コミュニケーションの課題はそこにあるという。

フィアットとグアム観光局

 最近作としては、フィアット(本社:イタリア、トリノ)の認知度アップのためのウェブキャンペーンがある。今回のフィアットで阿部が注目したのは、「アート&サイエンス」というフィアットのスローガンであり、それとイタリアを結びつけて、レオナルド・ダ・ヴィンチがフィアットに乗り、日本全国をめぐりながら絵を描いていくという企画が生れた。
 巨大な絵筆を背に乗せて走るフィアットのドライヴァーは「ダ・ヴィンチ氏」(名前だけでなく外見もそっくり)。車が走る軌跡が、ひとつの絵画作品になる。彼が行く先々で見聞したことは絵日記ブログとなってウェブにアップされていく。
 もうひとつは、グアム観光局のデスティネーションキャンペーン。グアムは旅行先として定番だが、これまでは家族連れが出費をひかえながら海外旅行する時の目的地だった。それでは旅行客の数こそ多いが、地元に落ちる金額が伸びなやむ。そこを変えたいというオリエンテーションだった。阿部の企画は、「たくさんのOLたちがちょっとお金をかけて楽しむグアム旅行」。
 サイトを訪れると、美しいグアムの写真の上に無数のクリックポイント(CP)が明滅している。その中には「当たりCP」があり、中には高級ホテルのスィートルーム宿泊というお宝も含まれている。それらを集めることで、グアムへの旅が宝物探しとそれらをゲットする旅になる。エンターテイメント性と実利性の融合。さらにこの企画を通して、現地において、モノのやりとりだけではなく、旅行者と現地の人々との独特のコミュニケーションも発生するだろう。旅行者も、現地企業やスタッフの人々も、全員がゲーム感覚に包まれ、旅自体がエンターテイメント化する。(6月中旬、ティーザーサイト公開。6月29日、本公開)
 2つの企画の特徴は、様々なコンテンツの中心にしっかりとウェブがあることと、そのウェブの内容の中核に、現実に行動し、変化を生み出す生身の人間がいることだ。PCや携帯といったメディアが、デジタルサークルの中で自閉せずに、現実の出来事と個人を結ぶ媒介物になっている。

ベビーカーをめぐる体験

 車のインタラクティブコンテンツで注目作が多い阿部だが、実は車を持っていない。「日頃、車にはほとんど乗りません。完全に電車派です」と笑う。「車を運転しないから、車というものを外部から客観視して、ウェブのアイデアを発想することができるのでしょう」。この態度は、無理をしない・等身大・自然流という彼の作風を表してもいる。オーダーに合わせて、最適な発想へと自分とプロジェクトを導いていく。それを彼は「どういうことが起きれば今回の目的が達成できるのかということだけにフォーカスして、アイディアとの出会いを待つ」と書いている。『老子』の中にも、こうある。「の働きは、なによりもまず、空っぽから始まる。それはいくら掬んでも掬みつくせない不可思議な深い淵とも言えて、すべてのものの出てくる源だ(加島祥造訳)」。
 ネットの中で、影響力を持った個人のことをインフルーエンサーというが、阿部自身もそれに近い出来事を経験している。「ぼくはベビーカーについてのブログを持っているのですが、始めたきっかけは子供が生まれた時に、ベストのベビーカーを徹底的に探したことです。やがてノルウェーのストック社製品にたどりついた。これは赤ちゃんを地面から遠ざけて輻射熱や排気ガスから守り、親と対面型にするなど画期的な利点を持っていました。さっそく自分で注文し、取り寄せて使い始めました。この使用実感を、タイヤがすり減った、レバーハンドがめくれてきたと、事細かに子供の写真と一緒にアップしていったところ話題になり、お客さんが輸入店舗へ行くと店員が、『詳しいことは、このブログを見てください』と説明しているという話を、ユーザーたちのオフ会で聞きました。自分ひとりが起点でも、商品が動きだすことが、実際に起るんですね」

 水平方向に広がりながら、どんどん他者と共感ベースでつながっていくことをネット世界の特徴のひとつとするなら、阿部の姿勢や考え方には、それに携わる者にふさわしい「風通しのよさ」が浸透している。