モデルの女性の頭の上にふわりと浮かんでいるナイキのマーク。余白の上を風が渡っていくような、ビルの屋上にあるガーデンを表現した一連のグラフィックス。井上庸子が作り出す余白やスペースは、二次元の平面なのに、膨らんでいるように見えることがある。
武蔵野美術短期大学のグラフィック専攻科を卒業後、個人デザイン事務所を経て、アフタヌーンティーなどを展開するサザビーに入社。グラフィックデザイナーとして働いた。サザビーに不満はなかったが、サン・アドへの扉が開かれた。上司のディレクターに相談をしたところ上司は理解を示してくれ、井上は「では武者修行してきます」と挨拶を交わし、次の職場に移っていった。23歳のことだった。
サン・アド入社時に、彼女は人事担当者に「葛西薫さんのもとで働きたい」と自分の希望を述べた。望みは叶い、皇居近くの丸の内パレスビルで、彼女は自分の場所を葛西薫のデスク近くに持った。その葛西薫から怒られたことは一度もなかった。「ただ」と彼女は言う。
3人のアーティストたち
彼女のデザインの特徴は、「余白を満たす静かな力」のようなものだろう。それは「緊張感」などとは異なる味わいである。ホワイトスペースがない場合でも、全体にある種の浮遊感が漂う。そうした特徴を説明することは難しいが、ヒントは彼女の家や事務所の本棚にあった。蔵書の中で目立っているのは、彫刻家アレキサンダー・カルダー、音楽家武満徹、陶芸家ルーシー・リー(Lucie
Rie)のものである。こういったアーティストたちの向こう側に彼女のデザインを置いてみると、その不思議な力の拠り所が見えてくる。
彼女は、ニューヨークのホイットニー美術館で購入したというカルダーの『カルダー・アット・ホーム』を取り出し、見せてくれた。そこにはカルダーが自宅で手作りしている針金の人形たちや、それらを彼自身が動かして上演する「カルダー・サーカス」の模様が収められている。この人形サーカス劇の制作から、空中でゆらゆらと動く「モビール」が生まれた。
また武満徹の本は、表題がすでに井上デザインにとって意味深い。『音、沈黙と測りあえるほどに』。その冒頭、滝口修造の「余白へ」と題する献辞が置かれている。「人は声や音なしでは暮らせないように、人は沈黙なしでも生きることはできない」。
そして「友人から教えてもらったんです」というルーシー・リーの存在。当時、井上庸子は、自分のデザインについて振り返る機会を持った。その時に、進むべき道と方向性に自信と力を与えてくれたのがルーシー・リーの陶芸作品だった。「この人の作品は、弱いけど、強い」。そう思った。三宅一生がそこに「創造の結晶を見た」と賛えたルーシー・リーの陶芸作品は、存在が希薄になっていくほど、要素が少なくなっていくほどに、強い存在感と説得力を放ち出すというような立体である。
INOUE YOKO 1964年生まれ。武蔵野美術短期大学専攻科グラフィックデザイン専攻卒業。1987年、サン・アド入社。2000年10月からフリーランス。
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