Booklet, Pamphlet

 

 

 2006年  表参道・紀丿国屋跡地開発記念イベント「白の一週間」関連ツール作成

       プロデュース&クリエーティブ・ディレクション=浜野安宏氏

       アート・ディレクション+デザイン=外立正氏

  

 映画『SHORT FILMS』(中野裕之監督作品)のパンフレットのテキストと部分的編集を担当。

 グラフィックデザイン=タイクーングラフィックス。

 

  

 映画『時の香り』(山川直人監督)パンフレット。

 アートディレクション、編集、執筆など、全般に渡って担当。

 

   

 HONOO TAIKO 石川県松任市を拠点とする女性3人の大太鼓ユニット「炎太鼓」。

 彼女たちは国家規模の祭典での演奏やアメリカのカーネギーホールの公演など、様々な活動を繰り広げた。その時の公演パンフレットなどの編集・取材執筆を担当。この「炎太鼓プロジェクト」は、日本を代表するクリエイターの方々が結集していた。舞台美術はインテリアデザイナーの内田繁氏、照明は藤本晴美さん、グラフィックデザインはK2、スーパーバイザーに松岡正剛さん、山本完斎さんなどなど。炎太鼓を支援している浅野太鼓社は、世界最大の和太鼓を制作し、飛騨高山の神社に奉納してもいる最大手メーカー。太鼓文化の振興に努める文化センターでもある。アート・ディレクション=K2、デザイン=伊東浩司氏

 

   

 QFRONT

 今や、渋谷だけではなく東京の、日本の代表的風景となったJR渋谷駅前のスクランブル交差点。この風景の核となっているのが、「QFRONT」びる。その建設記者発表の時に配られたのが、これら2冊のパンフレットだった。プロデュースは、浜野安宏氏。通常ならば、右の建物関連パンフレットで終始するだけなのに、浜野氏は、もう一度「渋谷」という街をしっかりと捉えなおしておく必要がある、と卓見を示し、左の1冊の制作を私に託した。このスタディーもきっかけの一つになって、後に雑誌『@SHIBUYA PPP』が生まれる。

 

       

 明治神宮さんとの共同作業

 渋谷区内に大きく深い森林と共に存在する明治神宮。彼らとの共同作業として、印刷物を制作した。私にとっては自分の原点を再確認する作業にもなった。

日本は、明治維新以来、近代化の道を歩み、その中で、近隣アジア諸国への侵略や、帝国日本軍による太平洋戦争、その時の国歌神道の徹底などが負の歩みとして歴史の中に刻印されている。その揺り返しとして、自分のルーツにつながるすべてのことが、再びの軍拡の道であるとか、ナショナリズムであるという言い方をされてしまう。しかし日本とはどういう国なのか、日本国民(民族)の資質や特質はどんなところにあるのか、それらは古来培われ、継承されてきたはずのものであるという問題意識までもが、なにかうさんくさく見られてしまうことは残念だ。

私は2004年6月から、東南アジアへ頻繁に行くようになったが、必然的に海外から見た日本という視点を持つようになり、今まで以上に日本人としての自分、日本という国家の特質や文化性を鋭く意識するようになった。明治神宮さんとの作業は、その延長線上にある重要なものだと認識している。

左の『たいせつなこと』は、明治天皇が発布した「教育勅語」に現代的なデザイン性を施して編集したブックレット。私はこの時に初めて「教育勅語」の全文を読んだ。もっとファナティックで、長い文章かと思っていたが、それは簡潔で、やわらかな日本語で書かれた常識的な啓蒙文だった。

 

   

  

      

     

 『たいせつなこと 昭憲皇太后』は、昭憲皇太后が詠んだ和歌を中心に編んだブックレット。明治天皇も昭憲皇太后も、生涯に渡って和歌を詠み歌人としての人生を送った。

 空のモチーフで全体を統一したものは、『たいせつなこと 明治天皇御製ブックレット』。

 デザインは、最初の2冊がeaのセキユリヲさん、青空バージョンは、フォーチュンの太田弘之氏。イラストレーションは、最初のものがワタナベケンイチさん、2冊目が国分佐知子さん。

 

 BALI ISLAND

   

 2週間弱バリ島に滞在し、35のホテルを訪ね、取材した。仕事ではあったが、様々なバリ島の表情(海、山、畑、川、森、朝夕の光、鳥の声、花々、祭り、音楽、絵画、彫刻、食事、高級ホテルなど)を体験できた。これは、その後の自分の「方向」にとっても大きな出来事だった。

写真左)ウブドゥの「アマンダリ」。右)クタのビーチに面したホテル屋上のプールサイド。写真は同行した諸田透さん。

  バリ島の人々は、おだやかで、にこやかだ。

   AMANKILA

 リゾートホテルの概念を変え、世界的ブームをつくりだしたアマン・グループの「アマンキラ」ホテル。圧倒的な静寂感、光景美、雄大なスケール、完ぺきなサービス。それでいて親密(intimate)な雰囲気。敷地に入った瞬間に、ある独特な、特別な気配に包まれる。バリ島のアマン系ホテルを、5つ(「アマンキラ」「アマンダリ」「アマヌサ」「ザ・レギャン」「ザ・チェディ」)、体験できた。

食事にほとんど関心がない自分にとって、旅の途上のご馳走の一つは、その土地の言語だ。バリはインドネシア語で、インドネシア語は世界で一番簡単な言語だと言われる。いつも持ち歩いている手帳に、よく使う言葉を10から20メモして、それらを随時使っていると、お世辞も含めてだろうが、「おまえは何でインドネシア語がしゃべれるんだ?」みたいなことを言われる。少なくとも簡単なやり取りは可能になった。

もうひとつ、バリの言語で特徴的なのは、バリの現地語の存在だ。「ありがとう」などという簡単な言葉を現地語で言うと、彼らはとてもいい笑顔を返してくれる。

 

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