HEARTLAND日記 (by YOSHIHARA YUKI)

*「EARTHEART PROJECTが生成していく過程、そこで交わされた会話」

 

2004年 4月 5月

3/31(水)午前6時

前日、早寝できたこともあり、午前6時に目がさめる。運動着に着替えて、3回目の代々木公園ジョギングに出る。今日は、軍手をして、ドン・キホーテの大きめのビニール袋を持っている。これでゴミ拾いをしながらジョギングする。第1回「エコ・ジョギング」である。

代々木公園に入ると、花見のなごりが残っている。盛大にやっていたわりには、少なく思えるが、そこかしこにカンビールや、ペットボトル、プラスチックの皿などが落ちている。走りながら、目に付くと、拾っていく。だいたい一走りすると、ビニール袋がいっぱいになった。ジョギングしている人は、とりあえず個人主義的である。ただひたすら走ったり、歩いたりしている。個人主義的なことを、英語では、インディビジュアリストというが、この言葉の用法の中には、利己的なという使い方もある。ジョギングしている人たちは、べつに利己的なわけではない。しかし、社会的であるのでもない。そこで、もしジョギングしている人が、走りながらひとり1枚のビニール袋分のゴミを拾っていったら、どれほど代々木公園がきれいになるだろうかと考えた。真剣にタイムアタックをしている人や、競技のためのランニングをしている人は無理だろうが、多くの人は健康のために、時々歩いたりしながら走っている。だとしたら「エコ・ジョギング」は可能なはずだ。と、自分でやってみて思った。

同日午前1:30

ラジオのDJの仕事をしている鈴木万由香さんが作業場にくる。彼女とは、雑誌『@SHIBUYAPPP』の環境特集号で、いっしょにページを作った。彼女はペオさんと、FM曲で環境関連のラジオ番組を持っているし、自分も渋谷区神泉に住み、渋谷のナチュラルライフを楽しんでいる(その様子をページにした)。鈴木さんからは、彼女が以前行った朗読会のこと、熊野古道を訪れた時の感想、環境イベントに参加した時のこと、自然療法を実際に行った体験などを聞く。様々に共鳴するところがあり、「アースハート」を今後、お互いに進めていくことを話し合う。    

3/30(火)

午後2時。作業場から外出するために外に出たところで、田畑哲稔さんを見かける。「田畑さん」と声をかけ、二人で作業場に戻り、しばし語る。彼は、前衛舞踏ユニットCELL&66bを主宰し、近年は、生身の身体のパフォーマンスと、デジタルコンテンツと、先端技術を融合したプロジェクトを展開している。その様子は、読売新聞の夕刊で大きく報じられたりした。田畑さんとは久しぶりに会ったが、「EARTHEART」関連で、またいろんなことができそうだ。

同日、2時30分。

代々木駅前で、写真家の小林響さんと落ち合い、近くの“おいしい御飯が売り物の店=田んぼ”に向かう。僕が御飯好きなのを知って、小林さんが連れていってくれたのだ。中に入ると、いい感じのメニューが並ぶ。季節の筍御飯御前を頼む。筍御飯も、付いてきた焼いた鮭も、すべてがおいしい。小林さんは、世界の少数民族を、白バックでファッショナブルに撮影した傑作写真集『TRIVES』の著者であり、僕が最も親しくさせてもらっているクリエーターの一人でもある。彼とも、「アースハート」の会期中に、何かやりたいねという話になる。

3/28(日)

快晴の午前7時30分。2回目となる代々木公園へのジョギングに出る。

代々木公園に入ると、桜の花が見事に咲いていた。僕はこれまで桜の花がそれ程好きじゃなく、葉桜の方が美しいなどと思っていたが、桜の花の美しさを改めて知る。それは“浮遊感の美しさ”だと思った。桜と他の植物が混じりあう代々木公園の姿はとても美しく、「地球も、これだけ美しいものを作ったのならば、それを意識する種族の存在は欲しかっただろう」と思った。「この“現在”は、地球が45億年かけて作り上げてきた『作品』」であることを実感した。

3/26(金)

午前11時。

スウェーデン出身の環境コンサルタント、ペオ・エクベリさん。彼とミーティングするために自転車で三権茶屋のスターバックスに向かう。自転車で三茶に行くのは初めて。なんとなく下り坂だろうと思っていたら、なんと上り坂でびっくり。

現地で、野口さん夫妻と合流。御主人の和孝さんと初体面。和孝さんには、「EARTHEART」関連の商標登録をお願いしている。

ペオさん登場。彼とは、雑誌『@SHIBUYAPPP』の環境特集で、何度かお会いした。でもその号が出てからは初めてのミーティングとなる。彼からは実に示唆に富んだ、具体的情報やアドバイスをもらった。

「国際自然保護連合(IUCN)が、2001年11月に『持続可能な社会へ向けた国際ランキング』を発表しました。その中で1位はスウェーデンで、日本は24位です。上位はフィンランド、ノルウェー、アイスランドで、北欧勢が独占しています。でも私は日本に大きな可能性を感じています。それは世界における日本の影響力が大きいからです。私は世界中を取材旅行で飛び回っていましたが、どこにいっても日本のことをみんなが知っています。ソニー、ホンダ、ポケモン、ピカチュー、アニメ。環境先進国である北欧やドイツも重要ですが、日本が環境立国へと変化していくならば、そのインパクトは世界的なものになります。だから吉原さんがやろうとしているこのアースハートプロジェクトにも大きな意義を感じています。」

カメラマンの内田将二さんと打ち合わせ。内田さんは、auのキャンペーンや、ラフォーレ原宿のキャンペーンなどを手掛ける、日本で最も忙しい売れっ子カメラマンの一人。彼とは雑誌『×10』の第3号で一緒にページを作った。彼が撮った自然のパノラマ写真を見た時に、とても素晴らしいと思い、掲載した。

事務所のドアを開けると、真っ黒な毛並みがきれいな可愛いワンちゃんが迎えてくれる。犬好きの自分はとても嬉しい。

吉原「ロケの合間に、ああいった大自然の風景写真を撮影したり、その一方で、事務所に射してきた日ざしを撮影したり、そういう内田さんが持っているような“自然と交流する感受性”が、とても大切に思います」と話し、プロジェクトに賛同していただく。

●5時に、NHKの前でセレクトショップ「トムズショップ」を営む須賀俊郎さんと会って話す。須賀さんからは、今、個性的なセレクトショップ(路面店のことが多い)を“インディビジュアルショップ”と呼ぶようになったことなどを聞く。昔、佐野元春さんの歌で「インディビジュアリスト」っていうのがあったなと思う。

●ユナイテッドアローズの「Change事業部」の村上悠さんに企画書のファックスを送り、電話で話す。

●夜8時に、MOVEの新谷さんが企画した企画展に顔を出すため銀座に向かう。展覧会のタイトルは、「リサイクル×リペア」。そこではしみづ賛さんと槙原泰介さんの作品が展示されていた。しみづさんは、街でゴミを拾ってきて、それをひとつの都市のようなユートピアに組み上げている。離れて見ると、いかにもゴミで作った雑多な感じがするが、近付いて見てみると、そこには彼の濃密な箱庭宇宙が展開されていて、っぐっと引き付けられる。槙原さんの作品は、骨董品やで見つけてきた鳥籠とそっくり同じものを自作して、2つを底面で溶接している。これに天井からの照明が当たると、籠のフレームの影が床に落ち、とても美しいオブジェになっていた。彼等は共に、不要になったものや捨てられたものに、もう一度生命を吹き込んでいるように見えた。

●この会場で、おむすびプロジェクトを実践しているカラーリストの大倉千枝子さんを紹介された。彼女がくれた企画書には、こういう文章が書かれていた。

「1)自然をからだで味わうということで命の営み、生きることを体感する。

 2)教える-教わるという関係から“供に学ぶ”という人との関係。

 3)身近な素材を通してものとの関係を創造する力を育む。」

その通り。まさにストライクゾーンに直球が来たという感じ。改めてミーティングを持つことを約束して、帰路につく。

3/22(月)

「アースハート」のweb contentsを、グッドフィールドのサイトの中に作る。これで手軽に企画概要が読めたり、メッセージが送れたりするようになった。

3/20(土・祭日“春分の日”)

午前11時、雨。キラー通り沿いにある「むつごろう薬局」さんへ、代表の鈴木寛彦さんに会うために向かう。事前に彼等が出している「新聞」を読んでおく。するとそこに非常に興味深く、意義深い事柄が、たくさん書かれていた。たとえば「76号」の“自然が一番”(筆者:白井氏)という記事にはこうある(以下、趣意)。

「ガンについて。発ガン性物質を体外に出せれば、ガンを防げる。でも、どうやって?漢方の傷寒論という治療法ならそれができる。漢方は毒をもって毒を制する。漢方薬が苦いのは、それが毒だから。毒といっても有害なものではなく、シソやショウガのようなもの。ガンは、食べ物と関係がある。美味しいところだけしか食べないと、バランスが片寄る。たとえば砂糖。自然のままだとさとうきび。それを食べれば身体は調和を保つ。砂糖という甘い部分だけを摂取すると、栄養にはなるけれど、身体には災いを起こす。

もうひとつ、食べ物の話。「広島に原爆が落とされた時。アメリカの科学者は、50年間は草木が生えないと予測した。しかし翌年から緑は芽生えた。これが自然の力。それと放射能による白血病の発症が、彼等が思っていたよりも少なかった。それは広島の方々が、日頃からキャベツをたくさん食べていたからではないか(と白井氏は予測する)。キャベツの毒消し作用が、放射能を体外に出してくれたのではないか。もし甘いものや肉ばかりを食べている食生活の地域に爆弾が投下されていたら、白血病になってしまった人は増えていたのかもしれない」

これを読みながら、僕らが今企画している「アースハートプロジェクト」は、渋谷エリアという街にとって「漢方」なのだと思った。それは街のバランスを保つ働きとして機能する。外科手術的な対処療法ではない、街の健全で、健康で、成長する力に満ちたバランス作り。それを「アースハートプロジェクト」でやってみたい。そんなことを鈴木さんには語ろうと思って、お店への道を急いだ。

お会いした鈴木さんは、非常に柔軟な考え方と、適格な世界認識と、具体的対処法を持った人だった。礼儀正しく、明るく、元気。さすが漢方薬局の代表である。以下、彼との対話から。

「漢方の起源がいつなのかご存じですか? 中国の三国志の時代です。あの時に、2冊の漢方の原典が編集されました。そのなかには女性のための処方を具体的に詳細に書いた1章が独立して収められています。 なぜなのか?それは彼等が戦国時代で、強い国家を作る原点を、健康な女性と元気な子供に置いたからです。そうした意味では漢方の原点は、女性と子供であると言うことができますね」

3/18(木)

野口さんと、カルティベートカンパニーでミーティング。ゴールデンレトリバー君が迎えてくれる。非常に可愛い。野口さんも犬好きである。野口さんからは、環境関連の人ならではの正確な情報と見識を持ち、その話は示唆に富んでいる。

野口「省エネということでも、とても身近なところに問題点はある。たとえば携帯電話の過充電のこと。多くの人の必要のない充電による電気量は、原発数機分に相当します。日本は、環境の国際会議である京都議定書に盛り込まれたCO2の削減数値をクリアできていないばかりか、むしろ逆にそれよりも多くのCO2を排出する事態となっている。実際、企業はかなり努力していると思う。後は市民レベルの意識化と行動です。水道も、現状の蛇口はすぐに勢いよく出るけれど、そうなっていることで無駄な水が流れている。その量もまとめてみればダム数機分になるでしょう。私の知り合いで、蛇口の節水弁を開発した人がいます。たとえばですが、これを個人やお店にレンタルしたらどうでしょう。お店は節水できるんですから、支出が減り、利益になります。利益に貢献しながら、環境の改善に役立っていく。そういうアクションを、このプロジェクトに組み入れたいですねダムということでいえば、ダムの調査研究や技術開発には多くのところで取り組まれていますが、それに勝るとも劣らず重要な“森つくりの調査や技術開発”が立ち後れているんです。唯一広島大学で取り組まれている様です。ダム建設をストップさせるだけでは十分ではなくて、これからは森つくりにまで踏み込んでいきたいですね」

「日本はこれから少子化が進み、人口が減少し、総人口が1億人を切って、江戸時代くらいになってくる。その時に重要になるのは、作物の自給自足率で、1次産業に従事する人が増えてほしい。それを特に今の若者に期待しています」

他にも小笠原に空港建設計画があり、それがなんとか市民の反対運動で取り止めになり、高速船運行計画に変更になったこと、茨城県霞ヶ浦のとても着実な環境下以前運動などの話を聞く。吉原は、自分の中でまとまった「EARTHEART」プロジェクトのことを話す。野口さんはそれを理解し、賛同っしてくれ、共に進めていくことになる。この時から「EARTHEART」プロジェクトが始まった。

3/17(水)

渋谷宇田川町、NHKの向いの渋い一角で「ザリガニカフェ」を経営している石川はじめさんと会う。彼がマンフュージョンシステムというファッション系の会社にいて、裏原宿キャットストリート沿いのショップ「ビルエアー」で敏腕販売員として鳴らしていた頃から知っている。このショップのフィッティングルームが、僕が創刊して編集長を勤めた『@SHIBUYA PPP』創刊号の表紙になった。1999年6月のことだから、5年前だ。まったく無名のマガジンだったから、有名人を出したくても出せなかった、というか、あえてそういう方向性とは違ったアプローチを取りたかった。石川さんとは生年が同じで、同学年。そのせいもあって、時折会っては話をしていた。今回も、まず彼のところに行き、「アースハート」プロジェクトのことをしゃべった。二人はお互いの現在の心境を語った。それはある意味、とてもよく似ていた。第一次産業への関心、人類の未来に対して何かできることからやり始めてみたいという意欲。この数年間でのスタンスの変化。「ザリガニカフェ」という名前も、昭和36年という時代に生まれた世代ならではのネーミングだし、日常の生活感覚あふれる環境意識が、そこには宿っている。彼との話で重要だったのは、僕も彼も、この数年で、とても変わった。ずっと原宿とか渋谷とか神宮前とか、そういう場所で仕事をし、生活してきた中での変化だ。その変化を一言でいうと、自然感覚・地球意識へのシフトということになるのだろう。人は変わる。自然の流れで、それほど長い時間ではなく。このことをまず僕は彼との会話で確かめたのだと思う。

3/9(火)

野口さんと吉原が渋谷東急ハンズ付近の「ザリガニカフェ」でミーティングを持つ。

野口「日本はこれから少子化が進み、20年くらい経つと、総人口が1億人を切り、江戸時代の総人口に近くなる。その時に需要なのは、食物の自給自足率を高めることで、できたら40%位にはもっていきたい。当然大事になるのが第一時産業。農業、漁業、林業。それを担っていくのは若者なので、若い人たちに、そういった考え方や情報を伝えていきたい」

そして「地球自然環境の事柄を、なにか広くアピールできる方法がないだろうか」ということが野口さんから吉原に投げかけられる。吉原はそのことを持ち帰り、検討。

吉原は、以前、国際連合環境計画日本協会の企画員として、定期刊行物の制作総括をしていたことや、渋谷エリアをテーマにしたカルチャーマガジン『@SHIBUYA PPP』の編集長として活動してきた経緯がある。2003年後半は、『@SHIBUYA PPP』vol.14号の環境特集のために、パーマカルチャーや、自然学校などをリサーチ。あるいは自主プロジェクトとして「渋谷グリーンパスポート」などの企画を提案したことがあった。また「コマーシャルフォト」「FP」などの媒体で、日本のデザイン&クリエイティブシーンを取材執筆してきた活動も背景として持っていた。それらと今の社会状況やメディアの状況、街の姿などを観察し、野口さんとの間でメールを交わした。その結果、企画が練られ、それが「EARTHEART PROJECT」というワンパッケージに吉原の中でまとまった。

2004年 3/2(火)

自然派生活用品ショップ「SASAWASHI」が渋谷区神宮前にオープンする。吉原有希は、そのコピーライティングやウェブコンテンツなどを担当していて、オープニングのプレスミーティングに、カルティベートカンパニーの野口理佐子さんを招待した。両者はそこで短い会話をし、再度改めて会うことにした。